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夢を掴む幼児教室を開きたい中学生のブログ

1人の中学生が「人生って最高!」と言えるように毎日を考えるブログです。

My life is aiways happy

I recommend reading these!

何かを失った時にこそ、大切なものに気付くことができるから。

こんにちは、アザラシ小町です。

このブログを月一ペースで更新できていることに感動してます(本来もっと…)

さてさて、今回のテーマに移りましょう。

 

この記事の柱となる考えは、

「自分のもとを去っていく人がいることも、近づいてきてくれる人がいることも、全て何かの”縁”である。」

というものです。

実際、人間は生きていくうえで沢山の人に出逢い、別れていきます。

人生を「道」と例えるとすれば、たまたま道が一緒だった…とか、憧れの人の道を自ら歩きにいった…とか、そんなレベルです。

「通行人と通行人」最初は全員そんな関係で、

その中で、肩がぶつかって謝った…とか、転んで助けられた…とか、なにかのきっかけで「顔見知り」や「友達」になるのです。

 

そうして人と出逢う私達は、生きていく中でとても大切な人と巡り会うことがあります。

例えば、親友、恋人、師、後輩…。

この人とは、ずっと一緒にいたいな。と思える人が、周りにも何人かいると思います。

でも、お互いそれぞれの道を歩いているので、どうしても離れて行ってしまう時があります。

私はそういう時、あなたは、私になにを教えてくれただろう。と考えます。

この”縁”は、私になにをくれただろう。何のために、私達は出逢って、別れたのだろう。と。

人と出逢うことで、私達は悩み、時には泣いたり、温かくなったりします。

「ああ、この感情を知るために、”縁”は私達を出逢わせてくれたんだ。」

「ああ、この痛みを知るために、”縁”は私達を別れさせたんだ。」

考えると、全て意味のあることで、自分が成長するために欠かせないことだったりするでしょう。

 

 

私には、大切な友人がいます。

器の大きな、心強く、優しい人。

遠慮深くて、思いやりがあって、頼ることが苦手な人。

どちらも、かけがえのない”縁”で出逢った、守りたい友人です。

 

最近、私のもとから去っていった人たちもいます。

この人たちもまた、かけがえのない”縁”で出逢った人でした。

 

去っていかれて、悲しんでいる私に「大丈夫だよ」と声をかけてくれた。

失ったことで、大切な存在に気付くことができた。

 

何かを失った時にこそ、大切なものに気付くことができるから。

 

これを読んでくださった皆様が、大切な”縁”に気付くことができますように。

 

4月24日 中三になったアザラシ小町。

 

 

 

 

 

 

 

 

去年の私に感謝したい

こんにちは、アザラシ小町です。

今回はめでたい内容!!

前回の記事で、合奏コンクールの話をしました。↓

 

azarashiko.hatenablog.com

 今週の水曜日に本番でした。

最後まで、本当に頑張った。クラス一丸…となったのかは私にはわかりませんが、

全員が、ちゃんと歌ってた。

私は、それが一番嬉しいことでした。

賞が取れなくてもいい。みんなで、このクラスで、声を合わせられたことが、何よりも宝物だと思いました。

「いけるかな・・・」

「あの組に勝てれば・・・」

「いけるって、いつもより、よかった。」

そんな声が飛び交い、みんながどこかで「過信のような期待」と「自信といえる期待」を持っていました。

 

結果、私のクラスは「銀賞」でした。

 

私は「私達らしいや」と思いました。

いつだって未完成で、

完璧は見つからなくて、

でも、それぞれが自分のペースで、

時には乱し乱されながら、

伝わりにくい誰かの想いを聞きながら、

それでも、前を見る。

 

私は、そんなみんなが大好きでした。

 

金賞だった組の合唱は素晴らしくて、

私達とは比べ物にならないくらい洗礼されていて。

 

私のクラスはどこかが足りなくて、

少しリズムが外れるピアノと、たどたどしい指揮と、

決して上手くはない歌と、空回りしてきた練習の成果。

人間らしい、合唱。

 

歌った歌は、少し控えめな応援歌。

小さな遠慮と強い気持ちが詰まった歌。

 

そんなのが全部合わさった結果、心に響く合唱になった。

 

 

パートリーダーのみんな、担任の先生、音楽科の先生、ありがとう。

 

 

合唱コンクールと私。

こんにちは、アザラシ小町です。

今日で学年末テストが終わって、今学期も残すところ後一か月程になりました。

体感ではまだ2か月経ったかな?くらいなのに、不思議なものですね。

一年って、本当にあっという間です。

 

さてさて、今回は前ブログで度々出てきていた「合唱コンクール」の話題。

うちの学校では、三月の二週目に開催されます。去年の今頃、私はパートリーダーとしてクラス合唱練習を仕切っていました。

まあ簡単に言うと空回りましてね。

やる気のないクラスメートを注意して、しまいには「出ていけ」と言ってしまったんですよ。

次の日からそいつらからはからかわれるようになり、最後まで上手くいきませんでした。

そしてその経験は私の中でわかりやすくトラウマと化していき、思い出しては苦しくなっていました。

 

んで、今年。

生徒会役員となった私は、学校から「中学生の主張大会に出場しないか」というお話をいただきましてですね。

原稿用紙を貰った瞬間に「これはチャンスだ」と思いました。

「去年の経験を前向きにとらえなおすチャンス」

「去年の経験から私は変わった、と旧クラスメートたちに知ってもらえるチャンス」

「今年も私は本気でいくよ、と今のクラスメートに伝えるチャンス」

私は仮原稿を提出し、何回も添削されて返ってきてはまた提出して、ぎりぎりにやっと完成原稿を市の方に送ることが出来ました。

途中、何回もこの問題に向き合う辛さや生徒会の担当教員からのプレッシャー、理不尽な叱責に耐えきれなくなって、学校をお休みしたりもしました。

それでも、本番大勢の人の前でお話しした時に「依頼を受けてよかった」と心から思いました。

私が主張大会でお話しさせていただいたのは「リーダーは、協力してくれる誰かを求めている」といった内容でした。

気付いたら自分一人で突っ走っていて、後ろにいたはずのみんなは居なかった。

とても心細い。

仲間だったパートリーダーのみんなでさえ、隣にいてくれなかった。

だから、リーダーが安心して前に立てるように「一緒に頑張ろう」と言ってあげてね。

そんな思いで話しました。

 

そんでもって今年の合唱。

各パートから1,2人と役員合わせて8人がリーダーになりました。

私は今年も懲りずにパートリーダーになったので、怖かったですが他のパートリーダーのみんなにこう聞いてみました。

 

「去年のこともあって、今私はすごく怖い。だからみんなに確認したいんやけどさ、

私がもし失敗して、上手くいかなくなっても、私に協力してくれますか?」

 

1人、2人、3人、4人、みんな、首を縦に振ってくれました。

千切れるんじゃないのってくらい振ってくれた子もいました。

 

ああ、今年は大丈夫だ。やっていける。このメンバーで、クラスを引っ張っていける。

そう思うと、すごく嬉しくて。

 

 

…で、現在(時間軸ややこしい無理)

本番まであと2週間です。

練習は上々です。言ったことを聞いてくれるってすごいことだと思いました。

少し指揮者で揉めてますが、本人の決意は十分。

私と練習して、本番はみんなの前で気持ちよく振れるようにしようねって約束しました。

 

今回こんなに円滑に進めてるのは、パートリーダーのみんなのおかげ。

 

真面目でよく悩むソプラノさん。

精一杯協力してくれるアルトさん。

アドバイスと指摘をくれる男声さん。

陰でいつも私を支えてくれる男声さん。

素敵なピアノで楽しませてくれるピアノさん。

努力家でポジティブな指揮者さん。

綺麗な声で引っ張ってくれる役員さん。

かっこつけでも雑務をこなしてくれる役員さん。

 

ありがとう、最後までよろしくお願いします。

 

 

2月24日   今回の学年末最高点数でそうなアザラシ小町

愛情と恋愛感情(コメントありがとうございます)

御無沙汰しておりました、アザラシ小町です。

今年に入ってから記事を書くのはこれが初めてです。遅くなりましたが、本年度も当ブログをよろしくお願いいたします。

さて、今回の記事の記事なんですが、実は去年の秋ごろに当ブログにコメントをくださった方がいましてですね。(ありがとうございました!)

長らく見ていなかったもので、そのコメントを発見したのが今年に入ってからとなってしまいました。

(コメントを頂いた記事はこちら↓)

 

azarashiko.hatenablog.com

 

では、頂いたコメントにお答えするような形で書かせていただきたいと思います。

 

恋愛感情がよくわからなくて検索してたら辿り着いた通りすがりです。 その"愛情"から"恋愛感情"に発展する事ってないんでしょうか?? 上手く行ってるカップルって愛情も恋愛感情も共に大きい印象があるのですが… まだまだ恋愛感情がよく分かりません…

 (そのまま貼らせていただきました。ルールや法に触れてましたら教えて頂けると幸いです。)

 

その”愛情”から”恋愛感情”に発展する事ってないんでしょうか? 

 あると思います。

もっと詳しく言えば、上手くいっているカップルほど”愛情”の方が大きいと感じます。

良いパートナーになれるということは、少なくとも双方が一緒にいて心地いいと感じられる相手だ、ということですよね。

”心地いい”は人それぞれだと思いますが、ようするにお互いの満たされたいところが満たされる関係であればいいのです。

パートナーとしてそのような関係を築けるのは、決してカップルだけではありません。

友達同士であっても、親子であっても、ペットと飼い主でも。

恋愛感情に発展するということは、「たまたまその”心地いい相手”が自分の恋愛対象であった」という偶然からなのだと思います。

 

ここで、恋愛感情から愛情に発展する場合のことについても考えてみましょう。

ある人の素敵な一面を見て、恋愛感情を抱いた。もしくは気になった。

恋愛はごく簡単に始まるものだと思います。

「良いとこ見つけ」が上手な人ほど、周りがカッコよく見えるんではないでしょうか。

「もっとあの人に近づきたい!」

そうやっているうちに、相手のいろんな部分が見えてくる。

もちろん、自分があまり好かない一面もあるかもしれない。

ここで、自分の愛する部分の相手だけしか愛せなかったら、それは恋愛感情にも満たないものだと思います。

もし、相手の嫌な部分も好きな部分も一緒に愛することが出来たなら、それは愛情であり、お互いにそう出来たなら、良いパートナーと言えるでしょう。

 

結論:愛情から恋愛感情に発展することは十分ある。しかし、恋愛感情から愛情に発展するのは、相手のすべてを愛してから。

 

コメントありがとうございました。

この記事が不十分でしたら、またコメントしていただけたら幸いです。

今年はもっと記事をあげたい・・・。

 

 

アザラシ小町はなんでも考えます。「こんなの考えてみてよ」というリクエストも、コメントしていただけると嬉しいです。

 

2月4日 アザラシ小町

はっきり言う子が嫌われる

おはようございます、アザラシ小町です。

久しぶりの投稿ですね・・・テストとかテストとかテストとかに追われてました(;´∀`)

さてさて、今回のテーマは「はっきり言う子が嫌われる」です。

少し具体的に言いますと、自分の意見を物怖じせずはっきりと主張できる人は好かれないということです。

これは、中学生というまだまだ思考が幼い時期だからこそ起こりうるのかもしれませんが、リーダーになった子が嫌味を言われるのと同じことです。

自分一人が頭を出すことを避け、みんなに合わせて意見を言うような人が多い。学校という社会の縮図のなかで生きていてとても頻繁に感じることです。

「自分を主張する」のが怖いのはわかります。私だって何度も怖い思いをした。でも、前に立つのはそういうことなんだって割り切ってきた。

「自分が正しいと思ってんじゃないの。」

一番よく言われるけれど、これを言っている人は前に立つ苦しみが分かってない。

意見を述べるときには、みんなの意見や状態をわかった上で考えて話しているし、決して自分本位の考えではないし、相手の意見を聞き入れない姿勢で臨む演説なんて無いんです。

でも、そんなこと言われてしまったら、わかってよって言いたくても言えない空気になってしまう。

リーダーは苦しんで苦しんでそれでも前を向いて立っているんです。

いつ嫌われるかもわからない状態で話をしているんです。

言葉足らずで伝わらないこともあるけど、そんな時は少し待ってほしい。ボロさがしはしないでほしい。

リーダーだって、みんなと同じ心を持ってるんです。

 

 

大人の皆さんはわかりきったことでしょうか。

大人社会のこういった事情も知れたらいいなと思います。

 

アザラシ小町

おはようございます。

おはようございます、アザラシ小町です。

今久々に朝から外を歩いています。

酷い寝癖を誤魔化しきれてません。

この靴をもうすぐ捨ててしまうので最後にと思い履きました。

f:id:azarashiko:20161016064409j:image

犬の散歩の方や御年配の方まで、朝は沢山知らない人に出会います。

今日は1人のおばあちゃんと挨拶しました。

私の通っている中学校のバスケ部が坂を登っていくのが見えたり、友達の家から朝ごはんの匂いがしたり。

とても清々しい朝です。f:id:azarashiko:20161016064730j:image

 

写真は私が見つけた日の出ポイント。

工事してなかったらもっと綺麗です。

 

朝活、気持ちいいですよ!

 

朝からアザラシ小町

 

真面目が損するってよくあるよね。

こんにちは、アザラシ小町です。

前記事で美山に合宿に来ていると言いましたが、それが終わり家に帰ってきて、また昨日までの三日間地域のキャンプに出掛けておりました。

私の母校である小学校、現在通っている中学校の生徒が参加でき、

公民館と関わりが強い私は6年生のときから参加しています。(中1は私用のため不参加)

低学年になるほど顔と名前が一致しなくなりますが、ほとんどが顔見知りで、同学年の中二に関してはほぼ身内のような感覚です。

私の住む地域のキャンプリーダーたち(職業ではなく、地域のキャンプ等の指導者をしてくれる方々。小学校の先生や保育士など)が指導者として来てくれます。

キャンプの概要なんて喋られてもって感じでしたね、しっかり読んでくだっさった方、ありがとうございます。

さてさて、私はそのキャンプで毎回感じることがあります。

それは、

キャンプって、自分を超えて楽しむために違う土地に行くものだと思ってた。

です。

これは私の独断と偏見に近いですが、

キャンプに参加するにあたって、やりたくないことはやらない。自分が楽しいこと以外には触れない。

というのは少し間違っているように感じます。

というのも、私は小1の時から美山の合宿に参加し、野外活動や集団生活を沢山経験してきました。

そこで当たり前のように教えられたことが、地域のキャンプでは通用しないのです。

その要因は、

  • 指導者が違う
  • 参加者が違う
  • 雰囲気が違う

要するに、当り前の尺度が全然違うのです。

 

自分が損をするようなことは引き受けないのが当たり前。

言われたことをするのが嫌ならギリギリまでやらない。誰かがやってくれるのを待つ。

参加している身にも関わらず、利用施設やプログラム、指導者に文句を言いまくる。

 

私が一緒に行った友人三人の尺度はこれです。

こんな子が多いのです。損得を考える才能があるといっても過言じゃないですね。

人それぞれに当り前は違うし、ましてやこんな尺度を持った子たちの集まりですから、どんなやつが損をするか。もうわかりますよね。

そう、自分から率先して動ける人です。

「率先して動ける」というのは、生きていくうえで大きな利点です。

ですが、大きな損害でもあります。

今回がその例ですね。

みんなで自炊をするという協力の場面で、自分がどれだけ楽をするかを重点に置き考える人と、人手が足りないところに自ら足を延ばし、周りに気を配る人がいたら、確実に後者の人が大変でしょう。

前者は、その大変な後者を見て、なんとも思わないのです。罪悪感もなにも感じないのです。

 

損得を考えて動く。率先して動く。どっちも生きるスキルとしては上等なものでしょう。

だからこそ、今回のことを生き方の違いだと簡単にまとめ上げてしまうことも出来るのです。

でも、それだけじゃ駄目だと思う。その生き方の違いが、真面目な人の首を絞めている。苦しませている。

なにか、救われるような考えが絶対存在する。

そう考えたときに、ひとつ思い浮かんだものがありました。

「真面目な人が認められる、役に立つという事実が必要だ。」

頑張ったね。でも、ありがとう。でもいい。

心のこもった言葉が、その人の複雑な想いを解せたら、真面目な人は、やってよかったと素直に思えるのではないか。

 

真面目な人に、損をするなといっても難しいのです。

だから、そんなことやらなくていい。ではなく、助かった。と一声掛けることをしてくれたらいい。

頑張る自分を愛せるように、頑張ることが苦じゃなくなるように。

一声掛けてくれる人が必要。

私は将来幼児教室を開いたら、そんな人を作りたい。

頑張る人の横で一緒に頑張れて、その子を助けられるような子。

それが出来たら、過去の私も救われます。

 

少し感情がこもってしまいました。

読みづらい文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は少し更新が遅くなるかもしれません。

では。

8月8日 アザラシ小町